著者:リチャード・パーキンス
撮影日:2025年07月13日
住所:〒903-0815 沖縄県那覇市首里金城町1−2
入場料:大人 400円・(団体)320円|
高校生 300円・(団体)240円|
小学生/中学生 160円・(団体)120円|6才未満 無料
日本全国には数多くの城があります。復元された城もあれば、当時の姿を残している城もあります。また、建物は失われ、跡地だけが残っている場所もあります。中には、多くの観光客が訪れる人気の城も存在します。沖縄県を代表する城といえば、「首里城」です。首里城は、沖縄県の歴史や文化を知る上で欠かせない存在で、琉球王国の歴史を象徴する貴重な文化遺産として知られています。初めて沖縄県を訪れる人にもおすすめの観光名所です。
正確な築城時期は分かっていませんが、14世紀後半に築城されたと推定されています。現在の首里城は復元されたものです。首里城は歴史の中で合計5回の火災に遭いました。1453年には内乱による火災、1660年と1709年には失火が発生しています。更に、第二次世界大戦中にも焼失し、2019年10月31日には再び大規模な火災によって失われました。
首里城は、尚巴志(しょうはし)によって築かれたと伝えられています。尚巴志は、琉球王国(現在の沖縄県)を初めて統一した王として知られています。首里城は「グスク」と呼ばれる琉球独特の城で、国王が暮らす王宮であると同時に、政治の中心地でもありました。およそ450年にわたり王城として機能し、首里王府が政治を行う場として重要な役割を果たしていました。また、王国祭祀と呼ばれる宗教儀礼の中心地でもあり、沖縄県において政治・文化・宗教を支える象徴的な存在でした。日本国内でも極めて珍しい、特別な歴史を持つ城と言えるでしょう。
実際に首里城を訪れると、まず目に入るのが鮮やかな赤色の建物です。しかし、元々の首里城は現在のような赤色ではなく、発掘調査の結果、かつては茶色だったことが判明しています。1715年に再建された時、現在のような赤い瓦が使用されるようになりました。当時の沖縄県では人口増加によって瓦を焼くための薪が不足し、高温で焼く必要のある茶色の瓦を十分な温度で焼くことができなかったと言われています。その結果、現在のような赤い瓦へと変化したと考えられています。
首里城には、独特な形状の城壁も存在します。日本の城壁は直線的な造りが多い一方で、首里城の城壁は、まるでうねるような曲線を描いています。この城壁は地形の起伏を活かして築かれ、敵が攻めてきた時には側面から敵の動きを確認しやすく、防御に優れた構造です。また、はっきりとは分かっていませんが、この曲線を用いた城壁は、琉球王国の美意識を反映した意匠(デザイン)でもあると言われています。この特徴的な城壁により、首里城は日本の他の城にはない独特の美しさを持っています。
平成12年(2000年)12月、首里城は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産に登録されました。沖縄県の城としては唯一の世界遺産です。また、首里城は沖縄県最大級の木造建築物で、中国と日本の建築様式を融合させた珍しい構造を持っています。これは、日本だけでなく、アジアの他の地域でも見られない、沖縄県独自の文化を象徴する建築様式です。更に、正殿(せいでん)は「2層3階」という珍しい構造です。外から見ると2階建てに見えますが、内部は3階建てです。正殿の前には「御庭(うな)」と呼ばれる広場があり、かつては様々な儀式が行われていました。こうした建築様式からは、沖縄県の人々が中国や日本の文化から大きな影響を受けながらも、独自の文化や宗教観を大切にしていたことがよく分かります。
日本の城には通常、大名(領地を治める武士)が住んでいました。しかし、首里城には王族が暮らし、政治だけでなく宗教的な儀式も行われていました。そのため、日本の他の城よりも多様な役割を担っていた興味深い場所だったと言えます。建築様式も独特で、一見すると日本の城には見えないほど特徴的です。沖縄県の歴史を現在に伝える首里城は、何度でも訪れたくなる魅力を持つ特別な場所です。沖縄県を代表する歴史的建築である首里城を是非訪れ、かつて琉球王国と呼ばれていた時代の歴史や文化をじっくりと感じてみて下さい。
この2体の石像も、沖縄県の守り神である「シーサー」です。
MORIKOBOSHIが首里城を訪れた時は、あいにく工事中でした。2019年10月31日に発生した火災からの復元工事が進められていました。